【定番】なぜ話に出てくる「おじさん」の事業は失敗するのか 前編


fall-down

食卓の話題において、人の人生譚をきいていて、一代さかのぼると必ず出てくるのが「おじさんが事業に失敗して…」というフレーズです。

遠めの親戚の話に出てくる「おじさん」
時に、「袖ヶ浦のおじさん」「福岡のおじさん」「ブラジルのおじさん」「ブルキナファソのおじさん」などと、地名とセットで呼ばれることがあります。
しかし、彼は決して目の前に現れることはありません。

それでいて、「口裂け女」や「人面犬」に比べると存在にリアリティがあるのも確かであります。

しかし「人面魚」になると、あれは千川上水などでよく見かけることができますので、存在のリアリティとしては

人面犬 < 事業に失敗したおじさん < 人面魚

ということになり、おじさんは当然、人面であることが推測されるので、

人面の世界では、

犬 < おじさん < 魚

ということも類推できます。
慶応幼稚舎の入学試験に出ます。

さて、この「おじさん」の正体は何なのでしょうか。

一般社会において、事業の倒産や、下方修正、敵対的買収、シャッター商店街など、「失敗」と思われる事業は数多くあり、枚挙に暇がありません。

不景気とされる世の中、倒産がないと資本主義というのは成立しないシステムである以上、「失敗」は当然のことであり、健全な新陳代謝の一部なわけです。

以上が、ケインズ経済学的見地からの考察ですが、さらには別の角度からの「おじさん」考も成立するわけです。

すなわち統計学。

「おじさん」の定義は曖昧ですが、主に
・四親等内の顔を合わせたことがある人
・仕事等の関係で家に複数回来たことがある人

を指すのではないかと思われます。

また、「おじさん」が誰にとっての「おじさん」かというとまた謎で、甥から見た100%純粋な純オジはかなり少数。
そういった場合だと、深刻度が増してあまり事業の話題は食卓にのぼらなかったりします。

つまり、適度な当事者感と距離を保った上で、ガラス張りの不幸を楽しめる境遇が大切なのです。

極めて無責任に、かつ、若干のスリルを楽しみつつ、近隣地方の災害のような「安全な心配」が必要条件となるわけです。

ここに関する日本人の潜在的欲求は非常に大きく、場合によっては、この要求が閾値を超えたとき、おじさんの定義を広げても「事業に失敗したおじさん」を現出させることになり、場合によっては存在しないおじさんすら、話題の上で創作してしまう危険性すら孕んでいます。

この場合、おじさんは「マクガフィン」と呼ばれる存在に昇華します。

Wikipedia より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%AC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3

マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)とは、何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。登場人物たちの視点あるいは読者・観客などからは重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能な物であり、泥棒が狙う宝石や、スパイが狙う重要書類など、そのジャンルでは陳腐なものである。

おじさんは、食卓の会話という物語における、適切なスリルという酸っぱいお漬け物として需要があり、舞台装置として、今後も語り継がれることは容易に予想できます。

  • 次週、「おじさんの逆襲」に続く

 

 

クズコンバレーでは、書き手さん、その他、協力者を募集しております。お気軽にお声がけください。

 

■クズコンバレー Facebookページ Kuzbook

https://www.facebook.com/kuzcon

 

■クズコンバレー Twitterアカウント @kuzcon

https://twitter.com/kuzcon


カテゴリー: カス, 仕事, 新書, 理由, 知恵, 考察 パーマリンク