【新書】なぜ、なるとは輪切りで入っていると貧乏くさいが縦切りで入ってるとちょっとうれしいのか


SONY DSCなると。
それは練り物。

たかが練り物でありますが、そこに「の」という文字を描いてしまうのが日本人です。

ラーメンに輪切りのなるとが入っていると侘しいイメージがするのは、悲しいまでに食に意味を見出そうとする民族の性でありましょうか。

しかし、なるとが輪切りで入っていて、手放しで喜ぶ人は平成の世にはあまりいません。

貴重な貴重なタンパク源でありながら、「の」のインパクトが強く、見た目重視のレッテルを貼られ、どんなに分厚くても、「カサ増し」的扱いを受けてしまうのが輪切りなるとの宿命です。

なんかピンクでめでたい感じするし、ラーメンならスープの表面積を埋めることで説得力を出すタッグをのりと組んでいる。

それでいて、麺をはさんでよし、スープにひたしてごはんに乗せてよしの、のりほどのバイプレイヤー性もないのがこのなるとです。

 

しかし、そんな なると が、貴族へと変貌する瞬間があります。

それが、縦切りです。

チャーハンに、縦切りのなるとが具として入っていると、なぜか、すこし華やかな気持ちになります。

冷やし中華に、縦切りのなるとが入っていると、世の中捨てたもんじゃない、という気持ちになります。

広東麺や中華丼に入っている場合でも、輪切りのなるとだと、「五目」の建前を堅持するために、むりやり連れてこられた草野球のライトの風呂釜屋のおやじよろしく、とろみの中で、くったりとその役目を終え、観念しているなるとの姿が見えます。

ところが、縦切りになっていると、なると は、泥沼に咲いたコスモスのように、その色白なからだに紅をさした本当の色気を見せてくれます。

ここで注目したいのは、食材はたいてい、縦切りのほうがうまい、ということです。

まず、ナス。
同じ麻婆ナスでも、輪切りのものと、縦切りのものでは、まったく食感が違います。

ナスは油と相性がいいと申しますが、輪切りにすると、切り口から、大量の油が入り、ぶよぶよになってしまうのがナスの悲しいところです。

ところが、ここで縦切りにしておきますと、皮の部分が油で揚げられ、歯ごたえを楽しむことができます。

ナスといえば浅漬でも同様で、輪切りでは、揚げ物の付け合わせという位置づけですが、縦切りにするだけで、急なお客様へのおつまみレシピとしても成立する立派な料理となります。漬かりすぎて酸っぱくなったら、洋皿に盛って「ラタトゥーユ」とはこういうもんだ、として出すことも可能です。

 

他にも、縦に切るだけで様々な効果があるわけですが、なぜ人は輪切りにしてしまうのでしょうか。

CTスキャンではないので、繊維にそって縦切りにしてみればいいのです。

輪切りにするということは、横たわっている食材を、切りやすくするという、切る側の都合による部分が大きいことは否めません。
これはおもてなしの精神に反します。

また、ステレオタイプな「料理」の概念から抜け出すことができないという点も問題です。

常に顧客の満足に対し、伝統主義に陥ることなく、新たな切り口を探すことがビジネスの基本でもあります。

生まれながらにして先天性「の」の烙印を組み込まれてしまったなるとに対し、「の」から解放してあげることは、決してなると道に反することではありません。

一見、どこにでもいる輪切りのなると的な平凡な女子。

でも、縦切りモードに入ると、いつもとは違った色気を見せる、そんな練り物系女子というのもこれから、ネタに尽きた女性誌などをにぎわすことでしょう。

たかが練り物にも、実に多くの示唆がこめられており、それが食文化というものです。

まずは、シマダヤの流水麺のような冷やし中華でもよろしいし、カトキチの冷凍うどんをゆでてもいいので、縦切りのなるとを添えてみてください。あなたの夏が変わります。

ちなみに、石原良純氏が、なると大使を務めておられるそうですが、頑張って欲しい、としか言いようもありません。

 

 

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